現在世界で最大の歌劇場数を誇り、公演数もダントツトップ、しかもエネルギッシュに活動しているのは意外なことにイタリアではなくドイツです。どうしてドイツの歌劇場はそんなに元気なのでしょう、以前はオペラ大国だったイタリアの現状はどうなのでしょう。その他の国々、例えばアメリカや日本のオペラ事情は一体どうなっているのでしょう。
今回はドイツを中心に据えながらその他の国々の事情をiltrovatoreなりに解析した結果を報告します。
バイエルン歌劇場は多様でハイレベルなオペラを提供している
現在最もハイレベルな歌劇場との評判の高いバイエルン歌劇場と、昔は断然世界一だったが現在はいまいちのミラノ・スカラ座の公演演目 (2019/20) をざっと眺めます。
バイエルン、MET, ROH,ウイーン歌劇場など多くの一流歌劇場は毎日出し物が代わる「レパートリー方式」を採用していますが、スカラ座は「スタジオーネ方式」(ある一定期間一演目しか上演しないシステム)なので演目数が少ないのは仕方ないとしても、、、、
バイエルンはなんと!イタリアオペラの本場、スカラ座よりも多くのイタリアオペラを上演し,更にその他の国のオペラ、バロック、新作などもバランス良く配置しています。
特に自国のドイツオペラよりもイタリアオペラの演目が多いのに注目!
さらにバイエルン歌劇場が夏に開催するミュンヘンオペラフェスティバルはシーズン中に上演された作品のなかから「より抜き」を選んで上演するばかりでなく豪華なトップスター歌手達が競うように出演する為、世界のオペラファンにとっては見逃せない音楽祭になっています。
つまりバイエルン歌劇場はドイツオペラに偏ること無く世界中の多様なオペラを観客に提供し、加えてオペラの肝とも言うべき歌手達のレベルも非常に高いので世界のオペラファンを魅了しているのかな、と思うのです。
一方スカラ座は昔の栄光いずこにありや?状態なのが問題です。 (根拠のない私見ですが、最近盛り返してきたという気はします。)
ドイツ語圏歌劇場は世界で最もアクティブに活動している
さて、ドイツ、オーストリア、スイスなどドイツ語を話す国々の歌劇場運営システムは似ており一つの文化圏を構成しています。
そこで現在世界の歌劇場トップ10の半分を占めるドイツ語圏歌劇場、特にドイツ バイエルン歌劇場を中心にその特徴を見てみましょう
「ドイツはカンパニー (オペラを主催する組織)を持つ歌劇場だけで全国80箇所を擁し、次点イタリアの3倍の上演数を誇る(オーストリアとスイスの同言語圏を合算するとさらに膨れ上がる)世界随一のオペラ大国である。(「オペラ」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 2021/04/08 10:31 UTC 版)
しかも、各歌劇場のカンパニーは大規模なものが多い・・・、「イタリア人もイタリアオペラ要員として滞独する歌手が目立つ。いわばドイツ圏は世界中のオペラ人材の集結地となっている」そうです。
実際ドイツではちょっと大きな都市には必ずといって良いほど歌劇場があり(ベルリンやミュンヘンなどの大都市には複数ある)、オペラの公演数はドイツがダントツに多いのです。
圧倒的に多い劇場数と上演回数、その結果ともいえる歌手達の集積を考えれば、現在ドイツ語圏の歌劇場が世界で最もアクティブに活動していると考えて差し支え無い状況です。
なぜドイツ(ドイツ語圏)ではオペラが盛況なのでしょう?
ドイツの歌劇場は公的支援が充実している
その理由として第1に挙げられるのは歌劇場の財政事情です。というのも、オペラは超金食い虫のエンターテーメントで、歴史的にも支配階級からの援助なしには生き残れなかった芸術だからです。
と言うわけで各歌劇場の収入内訳を棒グラフで示したのが下の図です。
古いデータでしかも調査年度がばらばらなのは問題です。しかしこのデータは分かり易く、全体としての傾向は現在も余り変わらないので未だ意味のあるデータだと思います。
図1
予想通り、世界中どの歌劇場も事業(チケット)収入(黄土色)だけでやっていける所などありません。主に公的な補助金(青色)または民間補助金(寄付)(緑色)に大きく依存しています。
バイエルン歌劇場を見ると、なんと総収入の65%近くを助成に頼っています。(参考:Bayerische Staatsoper Jahresbericht 2018 p76)。
でもバイエルンはまだ良い方。大部分のドイツの(歌)劇場はもっとずっと高い助成率(なんと90%!)です。(「ドイツの歌劇場の現状と問題点」論叢現代詩・現代文化2011 VoL 7 pp. 27 -53)
この様に手厚い助成によって、採算が取りにくいと思われるマイナーオペラや新作オペラも上演することが可能になり、観客も多様なオペラを楽しめるという訳でしょう。
ドイツでオペラが盛んな理由は他にもあります。それはこのシリーズ (2~4) の中で書いてみたいと思います。
イタリアの歌劇場は大きく2つに分類されています。(参考:資料1:諸外国における劇場・音楽堂の現状、及びヴェルディ協会公演会資料より)
一つは音楽芸術の普及を目的とする「14の大歌劇場と交響楽団」です。その中でもスカラ座は別格です。
これら大歌劇場はイタリアの舞台芸術関係の予算の45%の補助がわり振られています(Relazione,Sull’utilizzazione del fondo unico per lo spettacolo e sull’andamento complessivo dello spettacolo. Anno 2014, 35p) 。
14の大歌劇場と交響楽団とは
バーリ歌劇場、ボローニャ歌劇場、フィレンツエ5月音楽祭歌劇場、カリアリ・リリコ歌劇場、ミラノ・スカラ座、ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場、パレルモ・マッシモ歌劇場、ナポリ・サン・カルロ歌劇場、ローマ・サンタ・チェチーリア・アカデミー、ローマ歌劇場、トリノ王立歌劇場、トリエステ・ヴェルディ歌劇場、ヴェネツイア・フェニーチェ歌劇場、アレーナ・ディ・ヴェローナ。
もう一つは、伝統歌劇場。現在29団体あり、地域における音楽活動を担っています。それらは例えばベルガモ、ミラノ、モデナ、パルマ、ピサ等々にある歌劇場です。これらの歌劇場には大劇場と比べ予算の割り振りが少ないです (伝統歌劇場全体で上記予算の19%ほど)。
ところで、上の図1で見る限り、スカラ座の助成率は4割程度で低いです。近年国家財政の悪化に伴い公的補助が減らされ、イタリアの歌劇場の経営状態は著しく悪化しました。
スカラ座はまだ良い方で、首都の歌劇場ローマ歌劇場さえ2014年オーケストラとコーラスメンバーの全員を解雇すると発表する事態(「ローマ歌劇場」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 2019年2月13日 (水) 16:42)になりました。ただし後に組合が妥協して解雇は撤回されました。
歌劇場の経営悪化による人員削減・給料値下げ・給料遅配は当然公演レベルの低下を招きます。イタリアの歌劇場の運営はとても大変なのだろうと想像します。
ミラノ・スカラ座ゼネラルマネージャーのマリア・ディ・フレーダ氏によれば、「イタリアの歌劇場の多くは経済的にかなり追い込まれており、もういつ閉まるか・・・という危機的な状況にある」(参考文献:文化芸術vol.7, 2016 p4〜7)そうです。
イタリアで歌手業を続けるのも大変ですね。イタリア人でさえ職を求めてドイツに行くというのも頷けるような・・・
(2019.8.3 wrote)
以下追記:2021.3.11
上記の状態のイタリアにコロナがやってきました。最初から大規模な被害が出たのがイタリアで、欧米のオペラ界にあって最も打撃を受けたのはイタリアかもしれません。
イタリア政府は舞台芸術、映画、視聴覚に関わる部門への支援として合計2億4500万ユーロ (ざっと300億円)を出費しました (1) 。しかしドイツの2020年度芸術・文化向け緊急予算を見るとなんと合計600億ユーロ(約7兆2000億円)(2)でさらに10億ユーロ (1200億円)積み増しています(3) 。
すなわちイタリアはドイツの約250分の1の予算しか芸術関係に出費していません! 一方文化小国の日本は第2次補正予算で560億円 (4)、2021年第3次で770億円 (5)、合計1330億円出すらしいです。日本の予算はざっとイタリアの4倍強でドイツの1/50以下。日本も少ないが、やっぱりイタリアのオペラ事情は厳しい。
(1)"The Slow Decay of Italian Opera" Operawire 2021.1.29, (2)「コロナ時代のドイツは芸術・文化をどう守るか?」「Newsdigest」Newsdigest 2020.5.22, (3)「ドイツ政府、文化支援に1200億円を追加。「ニュースタートカルチャー」とは何か?」」美術手帖 2020.6.5, (4)「文化芸術支援に560億円。政府の2次補正予算案固まる」美術手帖2020.5.28, (5)「3次補正、コロナ禍の文化芸術支援に770億円 伝統文化・芸術も動画配信を促進」」SankeiBiz 」SankeiBiz 2021.1.25
メトロポリタン歌劇場
ヨーロッパと異なりアメリカではあまりオペラが普及していません。3億人以上の人口、世界第1位のGNP、そして広大な面積を誇るアメリカですが、専属の歌劇場、オーケストラ団員、コーラス歌手、劇場裏方さんを揃えたオペラカンパニーと言ったら、METとサンフランシスコ歌劇場くらいしか思い出せません。そのほかにもシカゴ・リリックオペラがありますが、中小のオペラカンパニーはアメリカ全土に存在している様です。
ただしMETは豪華な演出、有名歌手を散りばめ、世界でもトップ歌劇場の一つになっています。とはいえ、このMETにほとんど来ない、または来たがらない有名歌手がいるのも事実で、例えばアンニャ・ハルテロス、チェチリア・バルトリ 、ヨナス・カウフマン、クラウス・フロリアン・フォークトなどが思い浮かびます。
その理由として、
彼らの音楽活動・私的活動範囲は基本ヨーロッパにありニューヨークは遠くて不便。
長い飛行時間は喉に良くない。
METは観客数4000人を越える大劇場で、自分のキャパシティーを超えた声を出すと喉を痛める可能性がある。
METまでの交通費、リハーサルを含め公演のための滞在費は歌手持ちだが、ニューヨークでの生活費(住居費を含め)は高い。
などがあると想像しています。
ところでなんと言ってもアメリカのオペラで特徴的なのはオペラカンパニーが公的な補助をほとんど受けていないことです。例えばMETですが、上の図1 METを見ればわかる様に青色で表される公的な補助がほとんどなく、収入の多くをチケット収入と寄付に頼っています。にもかかわらず、METのチケット販売率は70%程度で、ウイーン、バイエルンなどの平均90%を超えるチケット販売率に遥かに及ばず低迷している様です。
METのピーター・ゲルブ総裁はメディア戦略の一環として「METライブビューイング」を始めています。これはある程度の収益をあげている様ですが十分とはいえません。そのほかにも様々な努力をしている様です(参考:「NYメトロポリタン歌劇場 オペラの生き残りかけ闘う」日経電子版2017/11/19)。
追記:
昨年からのコロナ流行で、METは昨年3月から早々とオーケストラ団員、コーラス歌手、舞台スタッフを一時解雇し、給料の支払いは打ち切られました。この状態はもう1年続いています。困窮した彼らは他の職業に変わったり、家賃の高いニューヨークを離れたりしています。いまだ劇場の再開時期は確定せず、例え再開されたとしても以前の様な水準でオペラ公演ができるのかどうか危ぶまれています。(追記終わり)(2021.3.11)
まずは財政
日本の新国立劇場も収入の半分以上を助成に頼っています。新国立の年間予算は2017年度で約74億円くらい(公的な助成率は57%、42億円程度) (新国立劇場経常収益計 平成29年)。
一方、バイエルン歌劇場は2017年度約1億1229万ユーロ、(約135億円、公的な助成率は62%)です(Bayerische Staatsoper Jahresbericht 2017)。
2つの歌劇場を比べてみると、公的助成率はどちらも6割前後とまあ似たようなもので、予算の半分以上を公的補助に頼っています。(図1参照)
予算的に言うと新国立劇場(74億円)はバイエルン歌劇場(135億円)のざっくり半分程度の規模と考えて良さそうです。
ところが新国立は予算額の割に公演数が少ない。バイエルンは2018/19シーズンで40演目、174回のオペラ公演を行っています。一方新国立は2018/19で10演目、44回のオペラ公演です(両方とも子供向け公演を除く)。
新国立の予算はバイエルンの半分あるのにオペラ演目及び公演数はそれぞれバイエルンの1/4程度しかありません。
ただし新国立はスタジオーネ方式だから演目が少ないのは仕方ないと考える事もできます。ならば一回の公演にかける予算をバイエルンより多くするのも可能でしょうが、iltrovatoreが見る限りバイエルンより金をかけているとはとても思えないです。
しかも新国立はオペラ以外のバレエ、演劇などに対し、より多くの予算を割り振っている風でもなく、何故オペラの公演数が少ないのかは不明です。
これ以外、新国立で気になるのは、一般管理費+施設維持管理費=約24億円(経常収益計の32%、) (新国立劇場経常収益計 2017年度)。何と出費の3割以上を占めていて、恐ろしく多いと感じられます。何故か?内訳を知りたいところです。
雇用
バイエルン歌劇場は常雇い(長期雇用)で合計970人が働いています。なんと1000人近く!(オーケストラ166名、歌手31名、合唱99名、ダンサー72名、テクニカル及び事務系スタッフ504名、その他)(2017年度 Bayerische Staatsoper Jahresbericht)。
一方新国立劇場。長期雇用と考えられるのは事務方209名(役員64名,職員139名 …役員が多いなあ)だけ。合唱歌手は期限付き雇用(一年契約と思われる)で100名程度。
しかも出演料都度払い制 (「新国立劇場」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2019年6月10日11:44)。バレエダンサーも合唱団と似たような待遇です。さらに専属オーケストラはありません。
ドイツと日本では雇用システムが異なるので単純に比較するのは難しいですが、新国立劇場で働く合唱団の雇用はドイツよりずっと不安定です。(ドイツ語圏歌劇場での合唱歌手の雇用状況は次の回で書きます。)
と、まあ調べて行くと色々問題はあるようですが、もともと輸入文化でしかも超金食い虫芸術の「オペラ」を常時上演できる劇場システムが整い、そこそこのレベルで動いているのは喜ばしい事です。
ただし!
バイエルン歌劇場の年報では、収入、支出の明細、雇用者の内訳が素人でもすぐ理解できる様に分かり易く書かれている (ドイツ語だが)。
一方、新国立劇場年報の決算は単なる会計計算書で素人には全く分からん。「一般の納税者にとって分かり易く」などという考慮が一切されていないのは不満です。
最後に
欧米でオペラと言えば歌劇場が主催するのが主流です。一方日本では(来日公演を別として)藤原歌劇団、二期会など基本「オペラを上演したい・オペラを歌いたい」人達によって作られた民間団体による公演が全てでした。
しかし近年新国立歌劇所、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールなどが主催する劇場型公演が増えてきました。
公的な補助に支えられる劇場型オペラ公演の場合、劇場が演目選定や歌手のオーディションを行いますので、客観的・長期的展望に立って日本オペラをインターナショナルに通用するレベルへと引き上げて行くことが可能になります。
また、オペラはオペラを創る側とオペラを鑑賞する側との対等な相互作用無くして存在できません。
劇場はこの二者のバランスを取りながらインターナショナルに通用する芸術性の高いオペラを創って欲しいと思っています。
(2019.08.08. wrote) iltrovatoreが見る欧米オペラ事情2: オペラ歌手働き方の違い を読む、 おたく記事へ戻る